思い出のドーナツ盤(2)の続き
思い出のドーナツ盤(1)と(2)にて私のシングル盤コレクションからお気に入りの曲を何曲か紹介しました。
この当時は友人との音楽の話題もイギリスのグループが多かったかと思います。
なかでも話題の中心となり、イギリスの音楽を聴く切っ掛けとなったのは、やはりビートルズ(The Beatles)でした。
前にも書きましたがシングル盤1枚を購入するのも大変な時代で、リリースされるごとにシングル盤を購入する事も出来ず、当時は友人と購入するシングル盤を貸し借りした思い出があります。
また、この頃はラジカセはもちろんカセット・テープもない時代で、レコードを借り、聴いては返すの繰り返しでした。
家にはオープンリール・デッキがあったのですが、当時は接続コードなどもなく、ポータブルプレイヤーにマイクを向けて録音した記憶があります。
このように私もビートルズは何枚か購入し今も手元にあります。
これはその1枚「涙の乗車券」ですが、当時は「赤盤」と呼ばれ、「黒盤」でなくこちらで購入したのが自慢でもありました。
今もオークションを見ても稀少のようです。
さて、今回はビートルズの紹介ですが、ビートルズほど多くの方に聴かれた曲を今更とも思い、解散後にソロとしてリリースされた曲を紹介します。
ジョージ・ハリスン(George Harrison)
ビートルズの時代にはポール・マッカートニーとジョン・レノンの陰に隠れていたかもしれませんが、私はジョージ・ハリスンが好きでした。曲もですが私はギター・フレーズが大好きです。
2人に比べ曲数は少なく後期の印象が強いのですが、「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」、「ヒア・カムズ・ザ・サン」、そして初めてシングルのA面となった「サムシング」はビートルズの中でも名曲だと思います。
逆に才能が発揮されたのが遅かったが良かったのかもしれませんが、解散後にいち早く「マイ・スウィート・ロード(My Sweet Lord)」(1970年、日本は1971年)がイギリス、アメリカでNo.1ヒットとなり、続く「美しき人生(What Is Life)」(1971年)も大ヒットとなります。
また、この2曲が収録されたアルバム「オール・シングス・マスト・パス(All Things Must Pass)(1970年)」もイギリス、アメリカでNo.1の大ヒットとなりますが、何せLPレコードは3枚組と高価で手が出せず、当時はシングル盤で我慢しました。
このアルバムは後でCDで購入しましたが、今でも聴く1枚です。
また翌年リリースされた「バングラデシュ難民救済コンサート」を収録したライブ・アルバム「バングラデシュ・コンサート(The Concert for Bangla Desh)」は1972年度のグラミー賞の年間最優秀アルバム賞を獲得するなど、ソロとなり大活躍します。ちなみにこのレコードも3枚組で当時は購入できませんでしたが、こちらは中古でレコードを購入しました。
以降も多くのアルバムがリリースされ知ってはいましたが購入までは至りませんでした。
ただ、エリック・クラプトンとのジョイント・ツアーを収録した「ライヴ・イン・ジャパン(Live in Japan)(1992年)」は購入しました。ビートルズ時代の曲や今回紹介の2曲も収録されています。
ジョージ・ハリスン(George Harrison) | マイ・スウィート・ロード(My Sweet Lord)
http://www.youtube.com/watch?v=QZCIdOt7C1c (YouTube)
ジョージ・ハリスン(George Harrison) | 美しき人生(What Is Life)
http://www.youtube.com/watch?v=3XFfUt7HQWM (YouTube)
ジョージ・ハリスンは、惜しくも2001年に亡くなってしまいました。残念です。
ポール・マッカートニー(Paul McCartney)
ジョージ・ハリソンより後に購入したのがソロとしてデビュー・シングルとなる「アナザー・デイ(Another Day)」(1971年)でした。既にソロ・アルバム「マッカートニー(McCartney)」がリリースされたのは知っていましたが、アルバムからのシングル・カットはされず、やはりこの曲がソロとして初のシングルで話題となり、イギリス、アメリカ、そして日本でも大ヒットしました。
ソロとしてのシングルはこの1枚だけでしたが、その後は「ウイングス(Wings)」となり、「アイルランドに平和を(Give Ireland Back to the Irish)」(1971年)、「ヴィーナス・アンド・マース/ロック・ショー(Venus And Mars/Rock Show)」は購入しました。
しかし、この頃になると友人などはアルバムの購入が殆どで、ウィングスの人気とともに「バンド・オン・ザ・ラン (Band on the Run)」(1973年)、「ヴィーナス・アンド・マース(Venus And Mars)」(1975年)の2枚を持つのが自慢でもありました。
残念ながら私は購入はしませんでしたが、「グレイテスト・ヒッツ(Wings Greatest)」(1978年)だけは今も所有しています。
今回はシングル盤の紹介ですので説明は終わりますが、ウィングス解散後の活躍は皆さんご存知の事と思います。
昨年は来日し当ブログでもHiroさんがBack to the Beatles~ポール・マッカートニー「アウト・ゼアー・ツアー」東京公演観覧記として紹介されています。
ポール・マッカートニー(Paul McCartney) | アナザー・デイ(Another Day)
http://www.youtube.com/watch?v=nNE6HxTinJI (YouTube)
最後にレコードを見ていたらこのようなレコードがありました。どうして手元にあるのか忘れましたが。
アニメーション・フィルム「シーサイド・ウーマン(Seaside Woman)」(1977年)のテーマ・ソングで、このアニメはリンダ・マッカートニー(Linda McCartney)自ら監督として制作され、このアニメはカンヌ国際映画祭で賞を獲得したとジャケットに書かれていました。曲はカリビアン・ポップスで、プロデューサーはもちろんポール・マッカートニーです。

ジョン・レノン(John Lennon)
ビートルズ解散後、ジョン・レノンも最初はシングル盤の購入でした。
「マザー(Mother)」(1970年)、「人々に勇気を(Power to the People)」(1971年)が収録された「ジョンの魂(John Lennon/Plastic Ono Band)」(1970年)はアルバムで購入した友人も多かったのですが、次の「イマジン(Imagine)」(1971年)を購入しようと思いシングル盤のみだったと思います(写真のマザーは盤に傷が入り後に買い直したものです)。以降はアルバムで何枚か購入しました。
イントロの鐘の音から始まる「マザー」も好きな曲ですが、アップ・テンポな曲が好きなのか、この2枚では「人々に勇気を」をよく聴いていたかと思います。
また、シングル盤は2枚ともオノ・ヨーコと結成した「プラスティック・オノ・バンド(Plastic Ono Band)」名義という事で、A面がジョン・レノン、B面がオノ・ヨーコのボーカル曲でした。しかし、聴くのはA面のみで、B面は1度位、針を落としたかでした。
ちなみに「人々に勇気を」のジャケットは2つ折りで、裏面は同じ背景にピースサインをするオノ・ヨーコとなっています。
月日とともにジョージ、ポールそしてジョン・レノンも聴かなくなってしまったのですが、ある日ラジオから流れた「スターティング・オーヴァー((Just Like)Starting Over)」(1980年)に感激し、こちらも即シングルを購入して毎日のように聴いていました。
そして1980年12月8日、ジョン・レノンの訃報を知ります。
私は仕事で九州にいたのですが、この事で深夜までバタバタするなど、今でもその日の事はしっかりと覚えています。
ジョン・レノン(John Lennon) | 人々に勇気を(Power to the People)
https://www.youtube.com/watch?v=4Epue9X8bpc (YouTube)

リンゴ・スター(Ringo Starr)
やはりビートルズとしてリンゴ・スターの紹介となるのですが、「明日への願い(It Don’t Come Easy)」(1971年)、「バック・オフ・ブーガルー(Back Off Boogaloo)」(1972年)は好きでよく聴きましたが、シングルの購入までは至りませんでした。
ビートルズ、そしてこの4人につきましては私が書かなくても皆さんご存知かと思い、今回も私のシングル・コレクションの紹介とさせていただきました。
最後となりますが、イギリスといえばビートルズだけでなく「ローリング・ストーンズ(The Rolling Stones)」も忘れてはいません。
探してみましたら、このようなシングルが残っていました。
この「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」は1973年に来日記念盤として、過去のヒット曲をシングル4枚でリリースされたものの1枚です。しかし、初来日となるはずだったこの公演、残念ながら入国の問題から中止となってしまいました。
その後は数回の来日を果たし私も1度見に行きましたが、今月は約8年ぶり6度目の来日となり大盛況だったようです。
ステージ花道を囲む限定席「ゴールデン・サークル席」が8万円には驚きました。ただ、ファンにはたまらない席だったかと思います。
思い出のドーナツ盤(4)へ続く