パーカッショニストを聴く夏(2)「ウィリー・ボボ」


パーカッショニストを聴く夏(1)の続き

ラルフ・マクドナルドに続き2人目のパーカッショニストは「ウィリー・ボボWillie Bobo)」です。

ウィリー・ボボを初めて聴いたのは「Bobo(邦題名:ラテン・レディ)」というレコードで、当時レコード・ショップのお勧めとして壁に飾っていた1枚でした。
何の知識もなくラテンフュージョンというだけで購入したのですが、A面1曲目の「Palos」から最高の1枚です。

ウィリー・ボボも1934年、ラルフ・マクドナルドと同じくニューヨークのスパニッシュ・ハーレム生まれです。
14歳からボンゴを始め、モンゴ・サンタマリアにパーカッションを学び、19歳から4年間、ティンパレスの名手「ティト・プエンテ」のグループに在籍、その後もセッション・ミュージシャンとして活動し、60年代に自らのグループを結成、1964年には初リーダー作「Bobo’s Beat」をリリースします。

ロサンゼルスへと活動拠点を移しソロとしてもアルバムを数多くリリース、またセッション・ミュージシャンとしても活動しますが、1978年にレーベルをコロンビア(CBS)へ移籍し最初にリリースしたのが「Hell Of An Act To Follow(邦題名:アクト・トゥ・フォロー)」で、翌1979年にリリースされたのが今回紹介のアルバムBoboです。

私はこのアルバムでウィリー・ボボを知り、前作、そして遡るように初期のアルバムを聴きましたが、ラテン・ジャズといえる初期のアルバムに比べるとこのアルバムは別人かと思われるフュージョン・サウンドであり、ジャズ・ミュージシャンが当時のフュージョン・ブームの影響をもっとも受けたと感じるアルバムでした。

このアルバムより3曲紹介します。

1曲目はレコードのA面1曲目となるPalosです。
ギター好きの方にも気に入っていただける曲かと思います。
因みにギターは一時期「アース・ウィンド・アンド・ファイアー」にも在籍していたカッティングの名手「ローランド・バウティスタ」で、曲もローランド・バウティスタのオリジナル・ナンバーです。
この曲は私の携帯の着信音でもあり、イントロは1年中聴いています。

ウィリー・ボボ(Willie Bobo) | パロス(Palos)
https://www.youtube.com/watch?v=BTkOnH2JQLI (YouTube)

2曲目はレコードではA面3曲目の「Latin Lady(Cecilea’s Song)」です。
この曲は「ザ・ボボ」というウィリー・ボボのバンドのメンバーでギタリストのアベル・ザラーテの作曲です。
この曲もラテンのリズムをバックにギターが心地よいです。

ウィリー・ボボ(Willie Bobo) | ラテン・レディ(セシリアの歌)(Latin Lady (Cecilia’s Song))
https://www.youtube.com/watch?v=kBvP8NUxBhI (YouTube)

3曲目はB面1曲目の「Reason For Livin’」です。
作曲はフュージョン・ファンにはお馴染みのキーボーディスト、作曲家の「デイヴ・グルーシン」です。

ウィリー・ボボ(Willie Bobo) | リーズン・フォー・リビン(Reason For Livin’)
https://www.youtube.com/watch?v=Y4Cd9cXQDFE (YouTube)

残念ながらこのCDも廃盤となり高価での取引となっているようですが、このアルバムと前作を収めた2in1のCDがリリースされておりお勧めです。

 

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最後に2in1のアルバムを紹介しましたので、カップリングのもう1枚のアルバム「Hell Of An Act To Follow」からレコードではA面1曲目を飾る「Always There」を紹介します。
このアルバムもラテン・フュージョン・サウンドであり、お気に入りの1枚です。

ウィリー・ボボ(Willie Bobo) | オールウェイズ・ゼア(Always There)
http://www.youtube.com/watch?v=BFnCKm11ajI  (YouTube)

パーカッショニストとしてラテン・ジャズ界ではキャリアも長く名手と言えるウィリー・ボボですが、私が」最初に聴いたアルバムからもフュージョンという印象が強く、今回紹介のアルバムを中心に簡単な紹介となりました。

残念ながらウィリー・ボボも今回紹介したアルバムBoboを最後に1983年に49歳という若さで亡くなってしまいました。

パーカッショニストを聴く夏(3)へ続く

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